『困難な成熟』その8。

「市民社会のフルメンバーであろうとしたら、まず贈与を受け取る立場から始めるしかない。

僕たちは自分の命を自分で創り出したわけじゃない。

自分が使っている言葉も自分で発明したわけじゃない。

市民的成熟とは、自分が贈与されたもの、

それゆえ反対給付の義務を負っているものについてどこまで長いリストを作ることができるか、

によって考量される。そのリストが長ければ長いほど大人だということになる。

すべての贈り物に対して私も何かせずばなるまいと考える。それが市民的に成熟しているということの条件。」

 

 私は取手一高時代の先生方に確実に贈与をしてもらったと感じているので、反対給付の義務があると思っています。

この分野の中で少しでも自分から贈与できるように、日々精進します…!

本当は、高校の先生になって一緒に働く、という約束を当時の担任の先生としていたのですが、学校社会が合わないと大学生時代に気づき、20歳から塾講師を始めて今に至ります。

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